どうもムクナです。
記事タイトルが小泉構文めいてて気持ち悪いですが、
椅子は座られるために出来てるけど人間は先立った目的をもって産まれてこない。
だから存在理由を自由に後付けできるわけです。
現代人の苦しみは生きる意味を自由に決めろと丸投げされるところにあり、
それをサルトルは自由の刑と言ってます。
サルトルの時代よりも自由度は上がり、刑が重くなったことは間違いありません。
見つかるか分からない生きる意味の探索
選択肢は無限ですが
時間は有限です。
仕事、趣味なんでもいいですが
有限な時間の中で様々な経験をして自己理解を深めて
少しでも意味を感じれるものと出逢うといいどすね。
ちょ待って
我ながらめっちゃええ内容や。
考えを言語化したというより
とりあえず手動かしてパーっと書いたら整理されたというより産まれた。新たな人生観が。
とりま試行回数稼いで納得度高めの生きる意味を見つけよう。
お金が落ち着いて視線恐怖症マシになったらね。