どうもムクナです。
タイトルはace coolのLyricから取りました。
鈍感と繊細についてあれこれ考えてみます。
鈍感な奴らだけが感じてる幸せ
"だけ"なのですから
少しでも繊細さを持ち合わせていれば幸せを感じれない
極論で誤りなのはなんとなく分かる
と、同時に鈍感な方が幸せそうであることも直感的に分かるし世間一般の解釈な気がします。
言ってることは
不幸人のルサンチマンな気がしますね。
不幸であることを、繊細さを持ち合わせていることに置き換え
幸せな人間は繊細さが足りないことにする。=鈍感な奴らだけが感じてる幸せ
見事な価値転倒ですね。
このプロセスを無自覚にしてしまうことが繊細さの欠如、鈍感の証かなと思う。
そして鈍感にも価値転倒を行うことで繊細さ又は思慮深さを自己付与し、プライドと優越感を獲得し、結果幸せになってる。
だから
「鈍感な奴らだけが感じてる幸せ」
はあながち間違いではないのか
鈍感、とくに自分の行動に対する無自覚さ
これがないとヴィーガンになりそうですね
私たちは残酷にも動物たちを殺して食べている!
これへの鈍感さ
この言葉は相手を傷つけてしまうのではないか、こう言ったほうがいいのか…
適度な鈍感さが無いと脳のリソースはすぐに尽きて社会生活は困難になる。
鈍感な奴らだけが感じてる幸せ
このLyricは、鈍感さ=幸せに不可欠な要素であることを私たちが前提意識として持つものだと暗示してますね
幸せ、いやそもそも生きることに不可欠な鈍感さ
なんとも醜いですね
鈍感さを捨て去れる場を提供することがもしかすると芸術の1つの役割かもしれない。
ショーペンハウアーが生きることは苦しみと唱え、苦しみを忘れるには芸術