どうもムクナです。
リスナーから多数の本が贈られてきましたが一番最初に手を付けた
を半分読んでの雑記です
読んで思ったのは
当時だけでなく今の社会常識とも相容れない哲学だということ。
というより彼は社会と群棲動物としての人間、均質化された卑小な人間に否定的な立場を取っていたこと。
だからこそ厨二病製造機足り得たのだと納得もしました。
ニーチェ自体の哲学は分解すると真理への誠実さがまずある。
そして真理が必ずしも道徳と一致しないことが分かる。
例えばイジメられた子には原因があるなどは遺族の気持ちを考えればとても言えたことではない。
しかしそれが真理の場合もある。
彼以前の哲学は真理を追求しているように見せかけて道徳の上に成り立った建築物であることもニーチェは指摘している。
道徳はウソを含む点で不道徳である。
人生のよい/わるい
ボクシング選手は強いものが「よい」とされる。
料理も美味しいものが「よい」とされる。
人生は何をもってよい/わるいとするのか
哲学でよくある善い人生は道徳的なものというのはニーチェにとって論外だ
よい/わるいが無い
弱者は他人から人生をよいとされて
「あ、俺の人生って正しいんだ!意味あるんだ!」となる
他人や社会から餌を待ち続ける卑小な群棲動物に成り下がる。
強者は違う。
自分で自分の人生をよいとする。
他人の物差しで善さを仕立てて貰ったりしない。
いやカッコいいね。
けどまぁ机上の空論だ。
人間は所詮は社会的な生物で多かれ少なかれ承認欲求に飢えてるものがほとんどだ。
けど幸せに生きるならある程度は強者の思考も必要だ。
面白いのは
社会で誰からも認められない人間への救いとしての
強者/弱者のフレームを作ったことだな。
このフレームなら仮に金、地位、名誉、ルックス、性格、能力がなく
社会や他人から認められなくても
強者だから、自分で自分を「よい」と価値付けできるっていう。
引き続き、
『これがニーチェだ』後半
を読んでいこうと思う。
反社会的な人間にとっては救いなのだ。