どうもムクナです。
プロテインを変えたせいか寝不足のせいか体調を崩してますが
を読んでの頭の整理 第二弾です。
本書を読んで、巷で謂われる
分かりやすい言葉、
単純な言葉、
強い言葉
を疑うことを人生で最も強烈に体験した気がします
まず
ニーチェは世界の事象の背景には「力への意志」が存在すると唱えました。
弱い意志の力は解釈の力となって現れます。
世界を自分の望むように解釈し、その解釈を押し付ける。
キリスト教における道徳や罪の意識のシステムが挙げられます。
人の価値は〇〇で決まる、私たちは〇〇らしく生きなければいけないと解釈を通じて他者を支配する意志は
〇〇以外が欠けていて、力の欠乏を感じているからです。
しかし
強い意志の力があったとして
それは「力への意志」を持ち得るでしょうか
力が充足しているのならただ発揮すればいいだけです。
つまり「力への意志」が世界の事象を全て説明できる=強者がいないということです。
ニーチェは弱い意志の力を解釈の力といいますが
では
「力への意志」という解釈でもって世界と人間を断ずるのは・・・?
まさしく弱い意志の力、解釈の力であり、自己矛盾を孕んでいるのです
弱い意志の力から抜け出すこと、強者になることは意識的なものでなく
体験的なものなのでしょう
世界の事象を事象のままに認識し、自分の望む解釈で捻じ曲げないこと
それだけの精神的な成熟さ、もしくは子供のような無邪気さを持つこと
を意識的に獲得しようとするのは
「意志への力」が働いてることがもう分かると思います。
つよい/よわいという評価軸を捨て去ること
つまりは最終的に仏教的な思想になるんですね
強者がいないことになります